東京ヒップを超えてゆけ!

原点 BEGINNING ~今につながる原風景~
加藤靖成 × 森順一郎 × 池田宏貴 × 神村嘉隆
始まりの物語は、現在につながる気づきや納得を私たちに示してくれる。
東京ヒップが辿り着いたゴールから、そのスタートと軌跡を振り返ってみよう。
かつて立っていた場所から臨んだ未来は、どんな道を辿ってどんな姿で今ここにあるのか。
答え合わせの先に、次はどんな新しい景色に思いを馳せるのか。
HISTORY

2002年(平成14年)
4月
・東京ヒップ社名決定
(コスモエンドになりかける)
6月
・有限会社東京ヒップ設立
・初受注は共同印刷から
・大日本印刷グループとの取引開始
・大日本印刷から初受注(日本旅行の赤入れ)14万円
2003年(平成15年)
・飯⽥橋へ移転(飯⽥橋ISビル7F)
2004年(平成16年)
・アスクル受注(500h/月くらい稼働したけど明⽇は来なかった)
2005年(平成17年)
・旅ルーム受注
・K村さんが失禁するほどの⼤炎上
2006年(平成18年)
・株式会社アベニーダ設⽴
・津曲さんがアベニーダへ異動
2007年(平成19年)
・杉野さんが派遣されてくる
2008年(平成20年)
3月
・ダイエー受注
8月
・株式会社に商号変更
11月
・神村嘉隆が取締役社⻑に就任
大ピンチのときに新会社、「どうする俺たち」
神村 会長と加藤さんも話を合わせてたんだろうけども、俺は大日本を攻めるためにつくった会社だとは説明されてなかった。新しいことをやる会社だよと。新しいことってなんですかって言ったら、それは自分で考えてよって。そんなのねえよと思って。
—— この状況で新しいことをやるって言われても思考停止しちゃいますね。
神村 何それって。大日本をやるんだよっていうのを、先に言ってくれれば断ったかもしれないし、もし言われてたとしてもそんなに悩まなかったかなとも思う。何やるかを考えることに、すごい悩んだんで。
—— 津曲さんの立場で考えると、現状を守る見方と将来を切り開く見方、両方があったのかも?

加藤 会長の意図は、そこだったはずですね。決して大日本をやりたいわけじゃなかった。ヒップはいろいろ楽しいことやりゃいいんだよ、みたいな。
—— 「新しいことを」っていう方向性だったんですね。
加藤 当時の東京ヒップの事業内容を見ると、ありとあらゆる事業が入ってる。映像も入ってるし。本当、津曲さん、何でもありだなっていうぐらい入ってた。でも、そういうところを目指してたんだろうなっていう気がします。
森 「校正って原稿が必要だよね。原稿チェックできるなら、原稿作ることもできるんじゃない」みたいなところから始まって。どんどん制作会社手配して。津曲さんは、そういうのがやりたかった。イベント会社。いろんな人に役割を振って、いろんな会社に声を掛けて、全部自分がまとめて、わあっとやるようなのを、まずはあの人、イメージしてて。
—— 大ピンチの時に、新しい&楽しい領域の模索が始まった。
神村 ダイエーとかやりたいんだろうなとは思いながらも、凸版がダイエーほぼ失注。今、話にあるとかしかやってなかったんじゃ。
加藤 レギュラー取られて、そんな気もするね。医療PAとか、家電PAとかそういうレギュラーチラシに対する企画チラシ。
神村 そんな状態のときで、ぶっちゃけると本当にこの会社は終わるんだなって、俺はちょっと思った、そのとき。
加藤 ダンク自体がね。
神村 うん。一応あがきとして、新しい会社だって言ってるみたいな感じで。ダイエー以外とかで、今いるスタッフを全員何とかするわけにはいかんだろうっていう感じは、肌感で何となくあったんで。
加藤 当時、ダンクが一番人数多かった。120か130ぐらい。そこで増えたのも、長崎屋のチームをつくるためだったけど。それがなくなったんだよね。何年やったかな。
神村 1年半とか2年ぐらい。下手すると2年やってないような気がするな。
加藤 だから経営史上、大ピンチ。そこで会社をつくるっていう判断をしたんですよ。
新しいことに出会えなかったことで出会った、ヒップの「トータル管理」の原点

加藤 ダイエーは仕事が大き過ぎて、分業になってるんです。原稿整理も校正も、写真の集稿も全部分業になってるけど。
神村 そういう意味では、今にして思うと、Dマートだけ動きが違ったなと。
—— そうなんですね、制作も含めた進行管理視点。
神村 入稿のタイミングまでトメと一緒に動いてたり、あとは上がってきた製版の対応やってたけど、いろいろ面倒くさいことをやってた。あれがヒップの進行管理の原点、みたいな感じはするかな。
池田 ヒップがダンクじゃんってずっと言ってるのは神村さんですけど、ダンクの頃から校正以外の面倒くさいことを元々やってた人だからなんでしょうね。ダンクでそういう動きは神村さんが無二でしたけど、神村さんみたいな役割をやる人を増やしたのは、ヒップですね。
神村 そうなんだろうね。俺の後は、森さんやってたから、Dマート。
森 Dマートね。
池田 津曲さんに引っ張られたんじゃないですかね。制作周りのハンドリングも含めて、ディレクターとして立ち回れそうだというので。
森 Dマートやれって言われたときに、てっきりDマートの校正やれって言われたと思ったんですよ。ところが制作で。神村さんの跡を継いでくれって。絶対無理と思った。デザイナーって面倒くさいんですよ笑。その人たちに校正紙面を落として、それから3人ぐらいいた編集に原稿渡して。要は橋渡しですよね。当時は人がいなかったんで、さらに校正もやるんですよ、自分で。絶対嫌だと思ってたんですけど、1年ぐらいやったんです。最終的にはやってよかったんですけど、まあしんどいですよ。でもあの経験がなかったら、多分東京ヒップに行って、ディレクションとか進行管理って言われても、ぽかんとしてた。チラシってやることたくさんあるんで、いわゆる最大値の経験ですよね。
—— 分業の足し算で最大値というか。責任もリスクも分担されるけど、全体を経験するといろんなことがわかりますし。
森 最大値を一応は経験したんで。ちなみに「ヒップでディレクションを」って言葉、俺、大嫌いです。いまだに嫌いなんです。
—— なんでですか。
森 ディレクター、プロデューサーって、そう簡単に名乗れるほどディレクションって簡単なことじゃないと思うんです、っていう自分の単純なイメージなんですけど。
—— 責任感かな、そう言えるのは。
森 本当難しいと思いますよ。
池田 何でもそうですけどね。校正マンだって、簡単になれないです。だけど、専門に埋没すると発想が狭くなる面もある。結果、営業はみんな印刷に行っちゃってるんですよね。朝日印刷、共同印刷、大日本印刷……当然その中で市場が大きいのが大日本なんで、最終的にそこに収まったっていう話で。本当は脱印刷を目指してたっぽいですけど、なかなか追い付かなかった。
神村 ルーティンの仕事がなかったんだよね。常に毎回新しい、何カ月の仕事なんで。数字が安定しないし、やってるほうも疲れてきちゃう。
加藤 コンペでしたし。それで十何万もらったところで、大の大人4人がどうすんじゃっていう話で。イメージ的には、ヒップが新しいことをやろうとしたけど、なかなかできない。だけどお金は稼がなきゃいけない。だから、大日本に行ったっていうイメージを持ってました。
—— シマノはメーカー直取引でした。ハウスエージェンシー的なことも狙っていたのかなと。
森 イベント会場回って、名刺交換して、その後あいさつして、みたいなことをやってたんですけど、結局売れるものって校正校閲とか、デザインとかだった。
神村 紙のね。
森 面白いこと、新しいことって何なんだって、思い付かないまま終わっちゃいましたよね。
津曲敬夫という男
—— 津曲さんについて伺います。ヒップを始めようとした人。彼の動きとか、彼によって、良くも悪くも始まったことなども伺えたら。
森 あの人、短気で。最初は取りあえず文句言われないようにやってました。でもそれだけじゃつまんないじゃないですか。指示もざっくりしてるんです。それなのに伝わってないとへそ曲げるから、しょうがねえって自分で考えて、池田君を連れ回して仕事してた。津曲さんから得たものは、気負い過ぎるなとか、そういったことです笑。
—— 割と精神論的な。
森 精神論ですね。当の本人はロジカルだと思ってたんです。でも話を聞いていたら、どうやら感情的。しかし図々しさっていうんですかね、人の懐に入るのがうまかったです。そのベースが物おじしないところ。自分も、ここはものにできるんじゃないかって思って見習ってきました。
加藤 森さんに一番最初に目を付けてたでしょう、津曲さん。営業的な魅力だったのかな。
森 入社してまだ1年もたってないくらい頃。俺、ばかなこと言ったんです。校正を津曲さんから頼まれて、それを戻しにいったときに「森君仕事はどうだ」って聞かれたんです。ずっと不思議に思ってることがあって、一つ聞いていいですかって返した。「この会社って営業いないのに、なんで仕事たくさん来るんですか」って聞いたんですよ。みんな机でがりがりやってるだけで、不思議でしょうがなくて。そしたら「面白いこと言うね、君。そうだよ、うちの会社は、みんなが一生懸命やってくれる紙が営業なんだよ」って。
加藤 その言い方も正解だよね。

森 そうですか、みたいなことを言ったら、営業やりたいの?って言ってきたから、別にやりたいわけじゃないですけどって。そうなんだ、みたいな感じから、ひょっとしてと思われたらしいです。それで一番最初に試されたんですよ。そこからは、仕事をお願いされるたびに、一緒に説明しに行こうって言われて。で、先方で俺に全部しゃべらせるんです。後から聞くと、人にしゃべれるのかをテストされてた。何年かたって、津曲さんに「一緒にこういうのやらないか」みたいなことは言われました。俺からすると、他にも向いてる人がいたと思いますよ、たくさん。あの当時は良くも悪くも津曲ワールドだったんで、津曲さんが言ったらそうなっちゃう。ごり押しですよ。みんな言い返せないですもん、怒るから。でもその中で結構噛みついてたのが、この2人(森、池田)だと思うんです。
—— 津曲さんが池田さんを連れて行った理由は何だったんでしょう。
池田 多分、ラグビーつながりと元気な若者。間接的には、森さんが「あいつがいいんじゃない」って話をしたって聞きましたけど。僕は、当時はもう辞めようと思ってた。それを勘づいたっぽくて「あいつ辞めそうだから、引っこ抜いたほうがいいんじゃないの」みたいなことだった、と。俺はお世話になった会社が新しいことやるんだったら、それが一番いいなというだけでしたね。
加藤 会社のエースだったんですよ、池田。いろいろできるし、動くし、徹夜もばんばんするし。
森 当時何やってたっけ、池田。入社3年目?
池田 ちょうど3年たったとき。3年で動かないとずっと惰性になっちゃうという考えがぼくにはあって、3年で何か新しいことをやっていこうと、石の上にも三年計画を実行してたんです。簡単にいうと、辞めるのが一番早いじゃないですか。でもちょうどそのタイミングで、そういう動きがあるって聞いたので、この会社にいたらもっと他のこともできるんだな、それならはい、やります、ぜひって、すぐ。
森 その頃よく酒飲みに行ったりしてたんです、池田と。こんなこと言うから、生意気なやつだなと思ってたんですよね。自分は入社して3年以上過ぎてから行ったわけですから。何だこいつ?と興味が湧いて、池田君、こういうの考えてんだけど、どう?つったら、やりますって言うから、よかったなと。
池田 何をやるかは知らないけど。何でもいいっすよって。
森 取りあえず新しいことをやるんだっていうことだけを、一生懸命俺が言った気がします。
池田 あんま聞いてないです。
—— 新しいことを一緒にやれそうだという、そこに共鳴した2人だったんですね。
森 元気な若者でしたから。
池田 勢いと、あと一応、根気強いみたいな。
加藤 でも元気のいい仕事できるやつは、全部持っていかれた感じです、当時。俺は、恨みつらみしか。津曲さん、水面下で話進めてて。会長と話つけてうちのチームでやってた手だれたちを全部持っていったっていう感じです、池田とか森さんもそうですけど。俺、入ってないんだと思って、それも頭にきた。俺、津曲さんはもともと苦手だったんです。ごりごり感ですかね。勢いと感情で物事を進めるところ笑。
—— 怒りんぼでゴリ押しじゃ、普通は失敗しますよね。
加藤 失敗するところも見てるんです。僕もそれ以上に失敗してるし。後々ですね、あの人のすごさを知っていったのは。自分が成長していくにつれて、あの人みたいな人いないなっていうのは、思い知りました。
外に出る、人に会う、仕事につながる
—— 東京ヒップが目指す「新しいこと」をやっていくために、チャレンジしたことは。
神村 一から営業をするってことぐらいじゃないかな。
加藤 営業会議もあのときからやってたね。森さんや池田さんの電話攻撃とかも。
森 テレアポ・飛び込みはやりましたよ。
神村 俺もしつこく言ってるけど、取ってきた仕事自体はダンクでやってたこととなんら変わってないっていう思いでやってた。似たようなことは内田さんがやってる、トメさんがやってる、みたいな。先方に行って仕事があるかないかを確認取ってくるっていうこと以外は、そんな新しいことしたかな。
森 出向っていうのを嫌わずにやりました。お客さんの名刺持って、お客さんの会社として動くとか。
加藤 それの走りはいつなんだ。
神村 能瀬さんもやってたわけじゃない。
森 でも一部じゃない? 結構それを嫌がらずにやって、数字を上げましたよ。その真骨頂が池田パターン。
加藤 一気に自分に注目させる。腹立つわ。
神村 あとは、派遣さんをうまく使おうとか、外注さんをうまく巻き込んでいこうとかは、ヒップになってから。
森 相手の会社の名刺を持って仕事するって発想、なかったんです。断りたかったですよ。俺、ヒップで一番最初に大日本の名刺持ったんですけど、すごく嫌でした。うちの手柄を持っていかれると思って。自分が一生懸命やったのに「大日本さん、よくやってくれましたね」って言われるから「東京ヒップです」って喉まで出ました。
神村 俺も浜松町行ってるとき、凸版印刷の神村だった。入社してすぐに凸版印刷の人だった。
—— 個人のインプットとしては、どうでしたか。他社の名刺を持ってやったことについて。

森 あんま変わんない。
—— ヒップに持ち帰るぞ、みたいなのは何かありましたか。
森 他社の名刺を持ってお客さんの所に行っても、業務のことじゃないですか、しょせん。それは一過性のものだったんで、あまり自分にぴんとはこなかった。
—— 人はどうでした? 外の人たちを見て。
加藤 ダンクからも持っていったよね。
神村 持っていった。
森 うちらが手配したの100人レベルですからね。
加藤 あんな売り上げの仕事って、後にも先にも。
神村 あります(ドヤ顔)。
池田 あんなもんじゃない。
森 でも純利で3000万ですよ。とんでもないです。あと、アスクルでは外部の人とも接するじゃないですか。デザイナーは岡本一宣で、編集者とかは僕と同い年で、マネージャーやってる人は言ってることのレベルが違ってて。あれは勉強になりました。全然俺たちガキだな、本当に井の中の蛙だな、と。ただ、俺たちはそこでしっかり仕事を残したんで、そこだけは負けねえぞと。実際感謝もされました。
個のパフォーマンスについて
池田 大体、引き継ぐったって、前任やってた人の方ができるのは当たり前ですもんね。これから覚える人がそこを比較されるのは、ちょっと。ハードルを下げとくのは、営業上の工夫です。
加藤 そもそも最初は、仕事を取って増やしていこうって人を投入するんで、池田さんみたいなタイプを入れる。仕事を無事に獲ってもらって、後任に引き継ぐ。するとだんだん……。
神村 引き継いだ人の仕事が消化作業っぽくなっちゃう。
加藤 お客さん側から見ても、うちに営業要素が消えていると、物足りなく感じる人もいるはずだね。評価の高さとも言えるけれど。
森 言われなくても場を見てて、こういうことに困ってるんだなっていうのを、すっと言うやつなんです。それ俺やってみましょうかって。こういうのあったら便利ですよね、俺作っときましょうかとか。そういうことを言われると、誰だってうれしいじゃないですか。
ダンクには、校正主眼という揺るぎない方針があった。それが個々のプライドや、仕事のやり方、マインドにもつながっている。
一方、ヒップは新しいことをやろうと試行錯誤を重ねた経験があった。津曲が営業に飛び出して渡したバトンは、彼流のコミュニケーションや営業マインドだったかもしれない。
試されるままに信じて飛び出した先で成長した森、ヒップの節目に自らの人生の節目を賭けて行く先々で実績を残した池田、会社の局面とヒップのトータルな技術力・管理力を冷静に守った神村、ダンクの商流に欠かせないベストメンバーをヒップに託した加藤。
好むと好まざるとに関わらず、そのバトンを自分の置かれた場所から受け取って走ったのがこの4人だった。
今や彼らは津曲の臨んだ景色を超えて、その先の道を切り拓き、ヒップのバトンを後進へ手渡すところだ。それは目新しいことでもなく奇抜なことでもない。時をかけて経験を重ね、ヒップの校正の力に新たな定義をもたらしたこと。信頼や正しさの価値を外に持ち出して、そこから起きる化学反応を仕事化するというバトンだ。
ダブルチェックは、やらない
池田 ダブルチェックがルールとも思ってなかった。誰が決めたんじゃ、みたいな。
神村 ダブルチェックやらないを最初に言いだしたのは、確か池田さんだったよ。

池田 だって、やってらんないんすもん。別によくねっていう。
—— どんなふうに先方を説得して、カバーしていったんですか。
池田 もともと、ダブルチェックなんて売りにしてなかった。勝手にやって、それでミスってることがあるくらいなら、シングルチェックでも同じ結果出せばいいんでしょっていう話で。
—— それやって、どうでしたか。
池田 いい面と悪い面とがありました。ヒップはシングルチェックみたいなイメージがついて。
—— 全部それってわけじゃないのに。
池田 そういうふうに取り違えられたりもしちゃった。あくまでも、仕事としてはケースバイケースで考えて決めるものじゃないかという選択肢を出したということだったんですけど。
神村 必要なとことそうでないとこ、みたいなね。
池田 前例踏襲で訳も分からずダブルチェックやってるよりかは、考えてミスったほうが成長する。あまりにも考えてないことが多いんで。脱線しちゃうけど、マスクもそうなんですよ。何も考えずにマスクしてるの嫌いで。話もしないのにマスクずっとしてるっていう、要は考えてないっていうのが好きじゃなくて。ぼくはあえて外す。自分で考えてやりませんかと。
—— いい仕事をするなら、何も考えずに型にはまっていてはいけない。
池田 はまっとくほうが楽ちんですもんね。
加藤 ルールを守ってるほうが楽。
—— よく考えて守りながら壊してみようよ、と。
森 全然テーマは違いますけど、マスク最初嫌だったんですよ。でも1カ月ぐらいしたら、逆にマスクがないことに違和感を覚えまして。今、マスクしてるほうが好きです。ほっとするんです。考えてやるって、考えた上でルールを守ることにもなる。
—— 池田さんと森さんのバランスいいですね。その場を見てマスクするかしないか考えるのと、みんなマスクしてるけどその理由はいろいろあるかもしれないって考えるのと。その両方、大事です。
森 それがないと危険なんです。いきなり東京ヒップに来て校正を勉強した人が、世の中にダブルチェックってものはないんだと認識することになると、それは危ないと思います。だからダンクからヒップに来たら違和感を覚える。
池田 その逆もそうです。ダンクでダブルチェックはやるものだから、それについて何も考えてないっていう人は、意味も分からずにやってるという危険もあります。それが何を引き起こすかというと、「うちはそういうものなんで」って、臨機応変な対応ができないかもしれないということ。予算がない仕事だと、うちはそうなんでって考えずに流してチャンスロスしちゃう。
—— 起きそうなことを予測して、その上で割愛するところや挑戦するところをしっかり考える。
森 要は、ダブルチェックで全く同じ流れは必要ない。でもこれだけはやっといてねっていう見極めが必要。単純な話ですよ。
—— これだけはっていうのを、クライアントとか案件ごとにアレンジできるようになっていったら。
森 できますよ、ここにいる連中は。
カスタマーインを追究して生まれたヒップ哲学
—— ダンクになってからも、仕事上迷ったり、複雑な課題続きで、どうしたらいいんだろうということがあると思います。個々にもあるし、会社としてもあるんじゃないか。そういうときに、思い出したいヒップ哲学とは何でしょうか。
加藤 3年間で考えたヒップ哲学。答えになるか分からないですけど、「粋」ってホームページに出していて。そこに込めたのは「責任感」です。東京ヒップの仕事は、お客さんのオーダーにいかに応えていくかということから広がっていった。こっちじゃ駄目だ、あっちだ、みたいな強いリーダーシップを発揮していたかというと、そんな感じではありませんでした。むしろ、お客さんの望む落とし所は何だろうという立場から離れずに考え尽くして、「これできる?」と求められたら「ついでにこれもできます」みたいな感じで、できることや喜ばれることを増やしていったんです。これを、仕事をうまく回して相手の要望に応える責任感だと誇りたい。東京ヒップとは、「うちはここだけです」と仕事の領域を限定せずに、とりとめない要望に対して答えを探していくことで自分たちを成長させてきた会社。そう思ってます。
森 津曲さん、プロデュースって言い方してた。制作プロデュース、校正じゃなくて。これは全然、浸透しなかったんですけど。
加藤 言ってたかもしれない。そこに込めた思いは、校正だけじゃなくて、相手が求めるところで仕事つくっていきますっていう。それがヒップの仕事の考え方。
—— マーケットイン視点をさらにカスタマーインへとフォーカスして、プロセス全体の品質管理へ。それが津曲さんのいう「制作プロデュース」であり、会長のおっしゃる「編集」だったのでしょうか。それを校正のプロ集団がやるのがかっこいいです。
加藤 そうですね。これはダンクもヒップもそうですけど、自分たちがなぜやるかというと、校正を経験した人たちが、それを設計しますっていう点ですかね。
—— 課題の見つけ方とか提案の仕方も違ってきそうですね。
森 ぼくらは校正目線。間違いを間違えない前提。なので地味なんですよ。基本的には注目を浴びない。でも今思うんですけど、それで困ってる人って、意外といるんだなって。
—— そう思います。フェイクが横行しているし、簡単に文章が作れるようになってきたし。やはり、安心してもらうとか、手伝ってあげるとか、やさしい視点に立つことや責任を伴う判断は、人間が担う領域。個の経験値や現場の協働力などを積み上げてきた東京ヒップならではの裁量が、価値になってくるのでは。
加藤 確からしい答えをスラスラ出してくるChatGPTにぼくらが負ける気がしないものがあるとしたらそれは目の前の案件や個性的なテーマやニッチな案件に対して、泥臭く考え尽くせるところ。表現がちゃんとしたものかどうか、伝わるのかどうか、正しいのかどうか。正解だけじゃなく最適解や納得解をきめ細かく提示していける。それって、責任感ある粋な仕事だといえませんか。
(2023年3月8日 株式会社東京ヒップ(現ダンク)8F応接室にて収録)
ー言録・井上弘治ー
「絵画や音楽、物語(小説・映画)などを鑑賞するとき、 わたしたちは無意識のうちにその歴史と物語を見ている。
そして無意識のうちにわたしたち自身の無意識も対象から見られているのだ」
―――【2015:観(かん)】より

「現実に翻弄されることなく常に「空」を意識することは大切なのかもしれない。「空」を発見するには、智慧を必要とする。それは未来を拓くことにも通じる」
―――【2017:空(くう)】より
「わたしたちはその「網」に捕らわれてもがき苦しんでいることにまだ気付いていないのかもしれない。「見えない主催者」とは誰なのか。網目を食いちぎるほどの智慧と勇気を試される時がいずれ来るかもしれない」
―――【2018:網(あみ)】より
「虚偽の中で虚偽を暴くのは「遊びごころ」でしかない。スマホの僕のごとく画面にくぎづけになっている姿は、世界につながっているようにみえて、実は捕らえられているのだと思う」
―――【2019:遊(ゆう)】より